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2011/07/02

おちつく水

《 W A T E R 》



 わたしの髪は、とにかく毎朝ボサボサとしている。

 今朝も例にもれず、髪という髪の束が四方八方に跳ねとんでいたし(髪が宙で揺れるのを頭皮で感じられるほどには跳ねとんでいた)まだもう少し寝ていたいという誘惑もあったのだけれど、昨日から土曜日の朝は一度で起きようと決めていたので鳥の巣頭を揺らしながら、とにかく一日をはじめようと、まずは小学生の頃からなじみの視力の悪い視界をクリアにするため春に買ったばかりの眼鏡をかけた。

 チャコールグレーと透明のプラスチックで縞模様になっているこのヘンテコな眼鏡を、わたしは結構気にいっている。一見すると黒ぶち眼鏡のようだが、近づくと案外色合いがかろやかなところが薄い顔立ちのわたしには丁度良いだろうという点が気に入っているのだ。

 枕元に脱いだままになっていた眼鏡をかけると、鼻あての部分に昨日の汗と皮膚の油がうっすらと残っていたようで、寝起きのおぼつかない所作でかけた一回目は鼻筋をずるずるとすべってしまい、フィットする位置におくことができなかった。おまけにわたしの鼻は野菜のニンニクやラッキョウのような形をしているので、目と目の間にある”鼻のはじまり”が甚だしく低く、普段から眼鏡を最良の位置に留めることが困難だったので、皮膚の油と合わさっていつまでもモタモタと眼鏡の位置をなおす羽目になってしまった。

 昨夜イメージしていた起床とは裏腹なスマートさに欠ける一日のはじまりとなった。

 ともあれ、眼鏡は良好な視界をくれた。そしてギシギシと音をたてながらあらゆる関節を稼働させ、ものの数秒で夏用の布団を畳める身体にととのえ、わたしはようやく布団から起きだした。まだ眠りの気配がもったりと残る自分の部屋には、もうすぐ午前の時間がおわるくらいの陽光が遮光カーテンの隙間から幾筋か差し込み、壁にあたって折れ曲がっていた。それをぼんやり見ていた時は、たぶん何も考えていなかったと思う。ただぼんやりと折れた陽光を見ていた。

 部屋の扉を開けリビングへと続くフローリングばりの廊下を歩き、台所で母をみつけた。スーパーのビニール袋から取り出した野菜を素早い動きで冷蔵庫へしまっていた母に、いつもよりも少し丁寧に「おはよう」といってみた。時刻は「おそよう」の頃だったけれど、まあいいかと前者を選んだ。母は「おはよう、今日も暑いよ」といった。

 次は姉に会い、ちょっと恥ずかしいような気持ちで、また、「おはよう」といった。恥ずかしかったのは、最近はまともな挨拶をしていないことをわたしは自分で知っていたからだ。いつも姉から「おはよう」を言ってもらえるのを待ってばかりだった。でももう子どもではないのだし、姉には週に一度しか会わないので、挨拶はちゃんとしなくちゃと改心することにした。ささやかではあるが、わたしにとっては確かな一歩だった。ちゃんと挨拶をすることが、すぐに健やかな生活をくれるわけではないのだろうけど、でもまあ、できることからはじめようと思ったのだ。
 ちなみにこれも、昨日に決めたことの一つだった。
 そしてすぐに父と甥っ子にむけて三回目の「おはよう」を言った。甥っ子は父に無理矢理 汗をぬぐわれて何やら叫び声をあげて逃げ回っていた。
 それから洗面所に立ち、簡単に顔を水ですすいだ。ひんやりとして気持ちよく、自分は河底の水流で磨かれた石のように新鮮だと思った。
 完璧な水流が眠気を散らしてくれた。
 一端はずした眼鏡をかけなおすと鏡に映った自分の顔がクッキリとして見えた。
 なんだか不思議だ。ほんの数日前までは自分の顔がぼんやりとしていて、よく見えなかったのに。

 去年の誕生日に友人がくれたbodum Pavinaのダブルウォールグラスに調度よくひんやり冷えたマテ茶を注ぎ、それを持ってベランダに向かうと、二歳半の甥がバケツに張った水で水遊びをしていたので、彼を眺めながら三十分ほど窓辺で涼むことにした。

 古びたコーヒー計量スプーンを遊び道具にもらったらしい彼は、バケツの水をすくってはベランダの床に撒く遊びに没頭していた。植木にも水をあげたらどうかと提案してみると、使命感を帯びた真剣な目をした甥は、何度も何度も古びたスプーンで水をすくっては植木の幹に水をかけた。土の部分には水は到達していないようだったけれど、幹にはたくさんの水の跡がつき濃い色に濡れていた。光合成の準備をするには適当かもしれないと思った。
 甥を見ながら、わたしも光合成をすることにした。

 それからすぐに昼食の時間になり蕎麦を湯でた。ネギとワサビをきかせた蕎麦はとても美味しく胃袋めがけてスルスル入ってきた。

 朝ご飯を食べていなかったので、ふいに力がみなぎってくるのを感じた。

 15時頃には駅前での用事のために自転車で出かけ、帰りにはスーパーで母のおつかいのズッキーニと絹豆腐を買った。


 家に帰ると姉がくれたAmazon図書券で買った一冊目の本の小包が届いていた。2830円の高価な本だったので小型の段ボール箱を開封する時は、肩が少しだけ上がり緊張し、カッターを握る手は汗で少し湿っているようだった。

 その本には、わたしが触りたかった物事の初動の感性がたどたどしくも活き活きと書かれてあり、良い本を買わせてもらえたことに感謝した。
 何時間か前、昼食後に、姉に「誕生日プレゼントありがとう」とわたしは改めてお礼を伝えたのだが、自分で思っていたよりもプレゼントを受け取った時の感激をうまく伝えることができなかったとおもうのは、これを書いている今も少し悔やんでいる、それでもお礼をちゃんと言えたのは良かった。

   本当はもっとたくさんのAmazon図書券をあげようかと思っていたんだけどね。

   最近は本をよく読んでいるようだし。本以外のものも、必要なものがあれば買えるでしょう?
   うん、まあでも、何を何冊読んだらどれくらいの金額になるのかは、ちゃんと計算したんだよ。

 聞けば、姉は旦那さんにも相談してくれたらしい。旦那さんはプレゼント内容を「うん、いいんじゃないかな」と言ってくれたようだ。わたしの誕生日を真ん中にしてそんな会話があったのかと想像して、こそばゆい嬉しさを感じた。

 そういえば、”何を何冊読んだら” の中身を聞くのを忘れてしまった。もしもそこに具体的な本の名前が挙げられるならば、聞いてみたいなと思う。これまでは人が薦めてくれる本を読むことをあまりしてこなかったけれど、映画や音楽と同じように本もまたそれを介在に紹介してくれた人のことを知る機会になるような気がする。普段そういったものを選ぶ時は自分ひとりぽっちなので作者と自分との間にあるのはとてもプライベートな交流ばかりなのだが、誰かが紹介してくれるものであれば、また形がかわるのだろう。
 だから次に会った時に聞くのを忘れないように、手帳にメモを書いておいた。

《メモ:どんな本か聞くこと》


 夕暮れを前に読みはじめたその本を、夕飯の時間まで読んだ。


 夕飯後、夜の最後にNHK放送でみた『グレイトネイチャー』も、とてもおもしろかった。

 海の世界に太陽の光が差し込む神秘的な映像がきれいで、変なかたちや奇抜な色合いの生物たちが泳いでいる姿もたくさん見た。
 妙に心がおちつくような感覚を覚えながら番組を見たのは、わたしにとっては意外なことだった。というのも、わたしは大人になるにつれて海や池や湖や、果ては水槽や生け簀やラッセンの絵画のような水の世界がどうも苦手になってきていて、水族館などに至っては動揺を隠すこともできず、みるみるうちに心拍数があがって胸がピリっとやぶけてしまいそうになるのだ。
 その恐怖の理由はよくわからないのだけれど、水深や、水の奥の奥に見えるぼんやりした暗い色のその奥や、水族館や生け簀や水槽などの水の入ったケースの端っこらへん、苔や得体の知れない生物がこびり付いた汚らしい影などを見ていると、なんだか居てもたってもいられないほど怖くなるのだ。だから目を背けて我慢したり、できるだけ近寄らないようにしている。ちなみに山奥に流れているような清流や滝なんかはとても好きで、居心地が良いとさへ感じる。わたし自身まだ明確な解明が出来ていないのだけど、恐怖を感じる水と好きな水に関しては何か規則性のあるルールに乗っ取った線引きがあるような気がしている。
 恐怖といっても、取り乱して叫びだしたりガタガタ震えて支離滅裂な行動に出るようなことはない。だから実生活の中では明るみに出にくく、たまにこの症状が辛いなあと思う時もある。
 発熱をおして、なんとか学校に来たものの、やっぱりすぐに限界になり、けれど早退を志願するほどの決定打はなく、おまけにこちらが体調不良なことを時々忘れて話しかけてくる友人がいる、みたいな密かに絶望的な状態と言えば伝わるだろうか。
 そんなわたしの症状に興味を持ってくれた友人に以前相談してみたことがあるが、どうも閉所恐怖症や高所恐怖症の人と似ているらしい。だから、まあ、水深恐怖症(スイシンキョウフショウ)という言葉を勝手につくって、とりあえず自分の分析をさぼることにしている。
 そんなわたしなので、海の世界をうつした『グレイトネイチャー』の水に心癒されたことは、何か今日と言う日が特別意味深い日である気がしたのだ。

 ラヴェルの『水の戯れ』を聴くことに決めたので、そろそろ眠るとしよう。

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