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2011/07/05

愛おしき透明と文芸誌

 一年前の夏に出版された文芸誌『新潮』で、昨夜はたくさん泣いた。

 10代の頃のわたしにとって、宿り木のような存在だった作家さんの新作短編を、だいぶ遅ればせながらではあるが、ようやく読んだのだ。
 その短編が宿す奇跡的な純度は、たとえば、理由もなくただ時間と共に会わなくなってしまった学生時代の旧友と再会してみたら、「こちらが夢みていたとおり、変わらないあの頃のままのキミでいてくれたのね」みたいな、感謝と感動に満ちたものだった。
 おまけに、10代の頃の初々しい魂をもったわたしの亡霊が、物語の行間から顔を覗かせるものだから、わたしは何度も柔らかい眩暈に襲われてしまい、読了の段に至っては心の筋肉細胞の隅々まで熱を帯びて、布団からピクリとも起き上がれないほどに消耗しきってしまった。
 腹ペコのまま放置していたら、気がつかないうちにポッカリ穴があいていて、最近では何度も渇いて干からびそうになっていた心の水源に、砂時計の中身みたいに軽ろやかな形状をした癒しの粒子がキラキラと降ってきてくれたものだから、使えなくなりそうだった感性の胃袋にもタンパク質のような役割の栄養がいきわたり、血流をドクドク言わせながら《腹減ったぞ》と胃袋が再び動き出した、みたいな野生的な感覚になった。

 連続的な轟音をガナリ立てながら、止まることなく回り続けている社会のエンジンペースというのは、哀しいかな、やはり必要な馬力として確かに存在しているのだろう。けれど、そこに相入れない自分を無理矢理に合わせて、ハリボテ仕様でなんとか頑張ろうとしていたわたしは、たぶん間違っていたのだと思う。
 『人ができることは自分もできなくちゃ駄目』と考えてしまう意地汚いプライドをなかなか脱ぎきれないわたしは、そのプライドでドーピングするようになんとかエンジンを回していた。そしてそのオーバードーズとオーバーヒートに自分で気がついた時にはもう、かなり自分自身の限界を突破し本来の生命リズムを大きく乱してから、時間が経過してしまっていた。
 「ダダダダダダダダダダダダダダ」という暴力的な音をたてる社会のエンジン音に、心が撃ち砕かれてしまう一歩手前だったのかもしれない。大げさなようだけれど、たぶん、『日々をいかにして心地よく過ごし、どれだけ優しい気持ちを人と交換できるか』は、わたしの生活にも労働にも、必要不可欠な絶対要素なのだ。
 ともあれ、エンジン音に完全にやられてしまう前に、なんとか轟音の衝撃をやり過ごし、完全に駄目になってしまう前に家にたどり着けたのだと思う。だから今日、こうして、自分を振り返ることもできるのだろう。
 夏の重量感ある大気がムワリと入り込みはじめた蒸し暑い自分の部屋で、汗をたらたら首に光らせながら姿勢を正して机に向かい、ノートパソコンの黒いキーボードを軽快な音をたてて叩いているわたしは、さながらジャズピアニストのようで、ちょっと上機嫌だ。『言葉の奏で』 のリズムを即興的にとらえながら、自由自在に文章世界を飛び回り、ある種の秩序のなか、今日のこの日記を肩の力を抜いて書いている。
 自分の弱さ故に色々なものから逃れてきたことを、長いこと攻めてばかりいたけれど、そこにはきっと本当に必要な幾ばくかの自己防衛本能もあったのかもしれない。それに、「頭ごなしに自分の欠点を否定するだけじゃなくて、少しは弱さの出所を見つめる手助けをしてやらないと」と思った。自分で自分の心のありどころがわかっていないと、また同じプライドドーピングをして、苦しい思いをする可能性だって充分あるからだ。

 久々に再会したのは、その作家や作家の世界観ではなくて、その世界の住人だった頃の過去の自分自身だったのかもしれない。そして、それはきっと亡霊なんかじゃなくて、もうすこし実際的な存在感のあるものだったのだろう。
一年分の汚れをまとった図書館の文芸誌が、現在のわたしに対して何かとても重要なメッセージを伝えようとしてくれたような気がする。今回この短編を読んでいる間ずっと、10代の頃のわたしがとても大切にしていた、秘密めいた愛おしい情景が次々よみがえり、そっと触れてみると相変わらずの透明がそこにあって、妙に泣けた。