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2011/10/17

セイ グッバイ マイ ネガティブ

《 部屋でぼんやり考えた 》


 ほんの数ヶ月前のことを、とても遠くに感じていた。

 ほんの数ヶ月前、自暴自棄だった頃に比べれば今の心身はとても柔らかで、日々の優しいことや、こそばゆい笑いに涙がチョロりこぼれるほど、わたしは癒えているのだと今夜気がついた。

 あの時期に感じていたのは世界の重力と、それに反比例するもぬけの殻の自分だった。地に足がつかず宙に浮いていた。

鬱々と思考ばかりくりかえす日々から脱却し、生活がひとつのサイクルに乗りはじめると、気がつかない程度ほんの数ミリずつくらい、日々を形成する物事は好転していったように思う。

 思い起こすのは家族との笑いやイザコザ。
 お互いに傷つきやすくて、うまくいかない不器用なコミュニケーションに、美味しい食卓。それから、会えなくても誠実に想いあえる友人たちのこと。陰鬱に悩みたがり屋なわたしよりも、もっと大人で、軽やかに悩む可愛い友人たちの発言。そして彼らがそれぞれのリアルライフにお行儀良く隠した、本当の辛さ。そんな彼らの姿はとても美しい。また別の友人が、夏の銀座の小さな画廊で見せてくれた恋人を想う甘い眼差しは、とろけるような幸福感をわたしにくれた。
 結婚を控えた友人と過ごした時間についてはどうだろう。彼女が一人で暮らす部屋に泊まるのはこれがもう最後なのだと思うと、わたしは哀しかった。確かにしかったのだ。けれど、彼女がもう一人じゃないと思うと、帰り道の電車の中ではやっぱり涙がこぼれたりした。
 姉が結婚した時もそうだった。もう自分だけの、自分一人にとってのお姉ちゃんではなくなるのだと思うと、心が破れそうだった。その頃のわたしはあまり家には帰らなかった。
 けれど甥が産まれてかわったと思う。
 命が産まれた瞬間に初めて立ち会った、あの非現実的な美しさに満ちた日を、わたしは今でも時々思い出す。無性に心細い夜の孤独が襲ってきた時には、産声をあげたばかりでフニャフニャで、一生懸命に泣き声をあげる小さな命のかたまりだった甥の、健気な姿を思い出すのだ。わたしも母のお腹から、あんなふうに健気に必死に産まれてきて、寒さや初めて聞く外の世界の物音に驚きながら震え、泣きながら、はじめたばかりの呼吸をしていたのだろうと思うと、力がみなぎってきて、心細い夜の孤独は影を潜めていくのだ。そして、いつの間にかゆっくりとした眠りに包まれている。
 そんな甥も、昨日でようやく3歳になったらしく、それは大したもんだと嬉しくなったりもした。甥は重度の食物アレルギーなので、本人も姉夫婦もたくさん試練を乗り越えてきたし、うちの両親も何度も救急病院にくり出したようだから。

 わたしが甥のことを好きだと思う瞬間は結構たくさんあるのだが、それを印象づける晩があった。
 甥や姉夫婦は、甥が産まれてからというもの毎週のように我が家へ泊りにきていた。狭い家に大勢が寝泊まりするので、甥たちはリビングルームに布団を敷いて寝ていたのだが、甥が2歳くらいの頃に、深夜に寝ぼけている姿をわたしはこっそり見たことがある。たまたまわたしは自分の部屋から皆のいるリビングへ水を飲みにいき、そこで眠ったままの姉とその隣りの布団で座ったままボーッと寝ぼけている甥を見たのだ。薄暗がりに浮かぶ白い小さな背中が、寝ぼけたまま右へ左へユラユラしながらぼんやり宙を見ている姿を見て、なんと可愛いい奴なのだと思った。暗い部屋の中、小さな子供がひとり起きている姿をみるのは、あの時がはじめてだったから。いつもの風景に見慣れないものがあったことが、わたしを驚かせ、それと同時に妖精かなにか、そんな神秘的なものを見ている気持ちにさせたのだった。

 友人に優しくするよりも、家族に優しくすることのほうがよっぽど難しいと昔から思う。より小さな空間の中で交わされるもっとも身近な愛情は、喜怒哀楽のすべてを膨らませてしまうからだ。それはつまり、喜びや楽しみを共有できる幸せな波動を倍々に膨らませることができる反面、どんなに些細な怒りやどんなに小さな哀しみも、顕微鏡を覗くように拡大して見えてしまうということだ。家族に
優しい自分でありたいと強く思う気持ちと、実際にそれを実行できているかどうかは、相変わらずアンバランスかもしれない。けれど、今のように落ち着いている日々の中で、身近な人への丁寧な心配りの手触りが、わたしの身体に染み込みますように。 

 大人になると、生活の大部分の時間は仕事をしている時間だ。わたしが自堕落な時間から抜け出せたのも、新しい仕事をはじめたからだろう。仕事をする中で直面する多種多様なストレスはあると思うけれど、仕事をしない、仕事がない、ということの方がよっぽど辛いと思う。
 前職と比べ、仕事内容も環境もまったく違う場に飛び込んだので、色々なことに慣れるのはそれなりに大変だったし、カルチャーショックも多々あった。けれど今では仲良くしてもらえる人たちもいて、毎日の仕事には驚きと緊張と、進歩していく楽しみがある。職種を変えることは、わたしなりに大きな決断だったけれど、今ではこれで良かったのかもしれないと感じている。それは、『自分の決断は人生謳歌の感覚にナチュラルでいられたのだ』という深い納得があるからだ。新しい仕事をはじめてからというもの、前職を続けながら感じていた適正への違和感はなくなった。

 家族や友人や仕事のことで、なんだかんだ、淡々と忙しくしているうちに、数ヶ月前に感じていたぼんやりとした不安は少しずつ消えていった。気がつけば、曇りガラスの内側に閉じこもったまま、社会という外界を眺めているような疎外感も自己嫌悪も、なくなっていた。

 日がな一日、河川敷の草むらに寝そべって空を見上げ、水色の空の中に吸い込まれるような感覚で現実逃避することもなくなったし、何かに怯えながら夜を歩き回ることも、今はもう、ない。