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2011/10/02

ちーちゃんと白い花

《 幸せなごはんを ふたりで作って食べた 》
 
友人が婚約した。

 わたしのささやかな人生の中にも、これまで、それなりに浮き沈みや右往左往はあったような気がする。
 人は自分の日常に不都合なことや処理しきれないことが起きた時、自分で自分を責めたり、自分を苦しめる自傷的な心の闇を持ってしまうことがある。そしてその心の闇は、気がつかないうちに大きな暗闇にまで成長してしまうから、とても厄介なのだ。普段どんなにポジティブで健康的な心の持ち主であっても、一度この暗闇に取り憑かれてしまうと自己否定という精神的な自傷を繰り返してしまうこともある。
 その暗闇をかき消したりその正体をつかもうとするためには、治療をしなければならない。自然の中に行ったり、旅に出たり、美味しいものを食べたり、カウンセラーのもとへ行ったり、人それぞれ治療の方法は様々だろう。

 わたしにとっての治療やリハビリは、愛する友人たちとの会話だ。または、彼らと何気なく一緒に過ごすだけでもいい。大人になるにつれて肉親には話せないことは増えていくが、友人たちとは語り合える。そして、彼らがくれる『わたしはこんなにも愛されているのだ』という実感が、やっかいな物事に立ち向かわなければならない時の勇気になるのだ。

 だからわたしは自分に勇気が必要になった時、彼女に会いに行く。
 二人で街に出掛けるのではない。彼女とわたしのあいだに必要なのは何か特別なイベントではないからだ。だからわたしはいつも彼女の暮らす部屋に会いに行った。
 初めて出逢ったのは6年前のニューヨークだった。同じユースホステルの集団部屋にたまたま寝泊まりしていたわたしたちは、ひょんなことからユースホステルを出て、マンハッタンのイーストハーレムにあるアパートに移ることになった。そのアパートの滞在は2〜3日だったけれど、わたしたちは近所で花を買い、街角のレストランに入り、部屋でおしゃべりをし、アパートの屋上でマンハッタンの空を見たりした。その出逢った時の情景が、それ以後のわたしたちの友人関係のスタンダードになったのだろう。だから帰国してから現在までの6年間、わたしが彼女に会いに行くときはいつも、彼女の部屋を訪れている。
 その日の夜に帰ることもあれば、そのまま1〜2日ほど泊まることもあった。わたしは彼女のアパートで一緒にご飯をつくり、お茶を飲み、彼女のアパートでおしゃべりをし、音楽を聴いて、彼女の隣りで眠った。
 彼女の暮らしに溶け込むことと、彼女に会いに行くということは、わたしにとっていつしか同義となっていた。

 まだもう少し若い頃、恋に翻弄されたわたしがひとりの男性との関係の終わりを受け入れられず、文字通りボロボロになった時期があった。『もう愛していない』と恋人から告げられた事実は当時のわたしを苦しめ、恋人への未練と、彼からはもう愛をもらえないという淋しさが、簡単にわたしの暗闇となってしまったのだ。そしてわたしの心と身体は弱っていった。
 失恋の痛みを昇華できず、まったく笑えなくなっていたあの頃のわたしは、まるで初恋をした少女のように純粋だったと思う。だからこそ、その純粋さゆへに自分自身を傷つけるための思考に埋没してしまったのだ。『はじめから彼には愛されていなかったのだ、自分は愛してもらえるような人間ではなかったのだ』という不穏な考えに、いつしかわたしは取り憑かれていたのだと思う。
 『なぜ彼はわたしを拒絶したのだろう、何か決定的な理由があったのではないか』と考えはじめると、夜もあまり眠れなかった。何日も布団の中で泣いて泣いて、電車の中でも授業中でも喫茶店でも気がつけば涙がこぼれ、傷心の時期を過ごした。
 わたしと彼との関係の一部始終を見ていた友人たちも、たくさんのなぐさめの言葉をくれたけれど、わたしのあまりの痛ましい姿は対処に迷う腫れ物のようで、彼らはいささか困惑していたようだった。精神的自傷を繰り返すわたしの心の暗闇はなかなか消えることなく、苦しみが過ぎ去るのを待つワンパターンの日々が、ひたすら鈍足に過ぎていった。
 そうしてしばらくした頃、わたしは彼女のことを思い出し、彼女の住む街へ会いに行ったのだった。


 『そんなに好きな人がいたなんて、そんな愛しい気持ちをもてたなんて、すごく素敵なことよ』


 あの日、彼女はわたしにそう言った。そしてゆっくりと優しい声でわたしを慰めながら、いつものように温かいハーブティーをたっぷりと飲ませてくれた。彼女はにこにこ微笑んでいたような気がする。わたしを庇うことも、恋人だった男性を責めることもなく、恋する気持ちの素晴らしさだけに光を当てて、わたしに語りかけてくれた。
 あまりに何週間も泣きすぎて、風化する寸前に思えたわたしの心と身体は、あの日、彼女の手を借りて幸せや喜びという栄養を再び蓄えることができるようになった。彼女と過ごした時間が、わたしに癒えるためのきっかけをくれたのだろう。いつしか、自分に取り憑いていた暗闇を追い出し、自分を責めることをやめることができたのだった。

 数ヶ月前、彼女から婚約したと知らせを聞いた。そして昨日、わたしは彼女に会いに行ってきた。つまり今回が、彼女一人の部屋に訪れる最後だった。
 彼女はこの冬結婚し、婚約者との新居に移るからだ。新しい部屋新しい土地ではじまる彼女の生活は、これまでわたしが訪ねてきた一人用の部屋ではなくなっているだろう。きっとお相手との二人用の部屋と暮らしがそこにはあるはずだ。そして少し先の未来には、三人や四人用の生活も待っているのかもしれない。

 わたしたちは出逢ってからこれまでの6年間、そこまで頻繁に会うことはなかったし、お互いの私生活をリアルタイムで共有したことも数える程しかなかったと思う。けれど、8つ年上の彼女はわたしにとってはじめから特別な友人だった。
 理由はわからない。けれど、特別になったのではなく、はじめから特別だった。ほんのたまに、こういう出逢いはあるのかもしれない。
 彼女の笑い声や彼女の暮らす空間、彼女の美意識や大らかな楽観、類希な優しさと強さ、そしてなによりも彼女のもっている『生きていくのだ』という輝きによって、わたしの心は何度も救われてきた。
だからちょっと真面目に、ありがとうと思っている。
 成人してからのわたしの人生にとても大きな影響を与えた彼女は、いつもわたしの心の中の特別な場所にいるのだ。


 昨日ひさしぶりに会った彼女は幸せそうに柔らかく笑っていて、少しだけふっくらしたように見えた。そして、わたしたちの再会を祝って白い花を買ってくれた。
 数年前、彼女の身にとても悲しいできごとが起きた時も、部屋には白い花があった。
まだ夏の蒸し暑さを残す季節だったと思う。悲しみで痩せこけてしまった彼女は、骨が浮き出てしまった細い肩を振るわせながら少しだけ泣いていた。わたしは、あの白い花の鉢植えが置かれていた窓辺と、あの日の彼女の姿を、生涯忘れることはないだろう。大切な人を失ってしまった直後の彼女の姿が、わたしの目に焼き付いて離れないのだ。それは誰かを想う愛しさや優しさ、そして耐えきれない程の痛ましさが詰まった情景だった。
 けれど、あの日の彼女はもういない。昨日、彼女は、白い花の隣りで幸せそうに微笑んでいたから。

 最後に会ってからどんなに時間があいても、お互いの人生に、何か言葉では言いあらわせないほどの大きなことが起きても、起きたことをなんとなくしか理解してあげられなかったとしても、わたしたちの関係がかわらないことを願う。
 そして何よりも、彼女がこれから先の未来で、幸せな家庭をきずけますようにと
願う。



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